食語の心 第141回(寄稿者テスト)
食のエンターテインメント化はとどまることを知らないようで、最近ではそれをライブ感という言葉で表すことが増えてきた。もちろんこの場合の食というのは、飲食店での外食を指すのであって、家庭においては従前とさほど変わっていない。かつての外食は家庭では出せない味や、作れない料理を求めていたのだが、今の時代はそれだけでは物足りないとみえて、見せ場を演出する店に人気が集まっている。ただ黙って料理を出すだけではなく、言葉や動きを加えることによって客を愉しませる。それ自体はけっして否定されるものではなく、好ましいことだ。
食のエンターテインメント化はとどまることを知らないようで、最近ではそれをライブ感という言葉で表すことが増えてきた。もちろんこの場合の食というのは、飲食店での外食を指すのであって、家庭においては従前とさほど変わっていない。かつての外食は家庭では出せない味や、作れない料理を求めていたのだが、今の時代はそれだけでは物足りないとみえて、見せ場を演出する店に人気が集まっている。ただ黙って料理を出すだけではなく、言葉や動きを加えることによって客を愉しませる。それ自体はけっして否定されるものではなく、好ましいことだ。
むかしの鮨屋の中には、仏頂面を売りものにする頑固オヤジがいて、笑顔ひとつ見せず、不愛想そのものだった。それでも味さえよければいい、という客も少なくなかったので、名店と称されたりもした。それと比較するまでもないが、最近の料理店、とりわけカウンター割烹などは、タレント並みに話し上手で、ギャグも交えながら料理説明をし、ステージさながらの場を作り上げる。そのためには居並ぶ客がおなじ料理を一斉に食べる必要がある。かくしておまかせコースのみ、一斉スタートというシステムができたと言っても過言ではない。
夜の部で二回転制を敷く店はほとんどが、エンターテインメント色を前面に押しだしている。食事でありながら興行色が強いのだ。主人の両脇には若い衆が身構え、主人の号令を待っている。定刻に客が全員そろうと、主人の口上がはじまり、料理の説明へと続く。最近では料理や店内の撮影禁止の店も増え、客たちは講義を受ける学生さながら、神妙な面持ちで拝聴する。

